今日、DaiGoさんがこんなツイートをしてました。
ここで言う「才能」っていうのは、僕らベーシストにとっても当てはまる話だなあと。
例えば、サークルや部活で、
「同い年なのにあいつは上手い」
「なんで同じ部活をしてるのに差があるんだろう」
なんて思うのはよくある話。
めちゃくちゃ上手ければ
「あいつは才能がある」
とも思うかもしれない。
つまり、自分と比べて差を感じる訳だ。
しかし、ここでいう差というのは「その人の方が沢山練習している」あるいは「効率のいい練習をしている」そういった努力から生まれていることも多いだろう。
もちろん、天才的な生まれ持っての才能・センスがある人もいるだろう。
しかし、サークル・部活単位で頻発するなら、全てを才能・センスという言葉では片づけられない。
やはりそういったことも考慮すると、練習という努力の差によることが多い。
つまり「努力」というのは、時として「才能がある」と他人は感じることもある。
最初は「あいつ努力してるんだろうなあ」程度だったものが、努力を重ねれば「才能があるなあ」にも変化する。
努力が多いほど才能があると思う可能性も高くなるし、アーティストなど普段を知らない人であればなおさらだろう。アーティストの努力している姿なんて見ないのだから。
努力の積み重ねの先に才能がある。
本当の”天才的な”才能がある人にも、努力によって才能のある人として並ぶことが出来る。
なぜなら、最初からの才能ある人か、努力した才能のある人かなんて他人にはわからないのだから。
「才能のある人」への道は、既に完成しているのだ。
コメント